会員インタビュー「銀座 このひと」VOL.24  お客様を信じて


相良 邦香 氏 
大分臼杵ふぐ「良の家」
代表取締役

銀座で働く方々にお話を伺う 「銀座 このひと」

昭和30(1955)年、 大分臼杵で、豊後水道の急流で揉まれた天然とらふぐ他、新鮮な海の幸を楽しめる料理店「良 の家」を先代女将(相良波子氏)が創業。子育ての傍ら店を手伝い始め、やがて大分市内に出 店。出張や転勤で訪れる東京の贔屓筋に請われて、平成11(1999)年、銀座に進出。以 来、東京と大分を行き来しながら両店を運営する相良邦香氏。苦労を苦労と思わない柔軟な姿 勢と行動力で頑張る二代目女性経営者である。

● 「良の家」の経営者にな られた経緯をお聞かせください。
 私は大分生まれの大分育ち、初めから大分の臼杵でお店をやっているという環境の中で育ちました。
 夫が亡くなり、二人の子供たちもまだ小さかったものですから、他所に預けて働きに出るといってもたいへん な時でしたので、それなら自分のところで育児をしながら仕事をした方がいいと思ってこの仕事を始めました。 一人っ子だったので、もともと後継ぎだったということもありましたけれども。
● どうして銀座にお店を出されたのですか。
 初めは臼杵のお店でやっていましたが、そこだけではお客様が少ない時は、ただお客様が来るのを待っている だけで何もすることがないんです。そうするとまだ若かったですからエネルギーも有り余ってイライラし、これ ではだめだと思って大分市内にもう一店舗出しました。銀座に出店したのはその後です。
 銀座には何人かの友人がクラブをやっていたので、よく遊びにはきていましたのでまったく知らなかったわけではありません。景気のいいバブルの時の銀座も知っています。
 銀座への出店はバブルが弾けた後だったので、皆さんからは「今頃来て! 何でバブルのいい時に来なかった のか」と言われました。でも、バブルが終わらないとお家賃にしても入れるような値段ではなかったし、少し華 やかさは薄らいでいましたが、当時(平成11年)はまだ景気はそれほど悪くなく綺麗なホステスさんもたくさ んいました。ある意味では逆に落ち着いていてその時でも決して悪くはなかったですね。
 「銀座では続かない。二、三年で泣いて帰るのだから、こんなところへ出てこなくていい」と皆に言われてい ました(笑)。三年たって「三年続いたか」、十年目には「十年続いたか」という感じでしたね。
 最初は、新鮮なものをお出しすればお客様はいらしてくださるだろう、銀座は価格も高いけれど、天然ふぐで 一人三万とか四万とかまでしなくても食べていただきたいし、こちらでアンテナショップになればと思って始め たのです。
● 先代はどんな方でしたか。どんなことを学ばれましたか。
 母は最近になってやっと現役を退きましたが、子供の頃から働いてきた人ですからなかなか仕事をやめなく て。今でも働こうと思えば働けるという人ですが、やはり年齢的なことや健康面でも多少心配もあって、無理や り、強制的に、やめさせました(笑)。
 仕事面では学ぶことも多かったということはあります。そういえば美しく聞こえますが、母はやたら口うるさ いところがあって、反面教師できたのかなというのもありますね(笑)。まあ、私とはまったく正反対の性格だ と思います。私の子供、特に娘は、家にいれば母もそばにいるので、その影響下に置くのも嫌だったし、母に育 てられた私みたいになって欲しくない、全然違う環境で育って欲しいというのがあって、小学校の後半から全寮 制の学校に入れました。
● 大分と銀座のお店の両方を経営なさっていますが、どのように行き来されているのですか。
 母のところ(臼杵店)は昨年の七月に閉店しましたので、大分店と銀座の二店ですが、冬は土曜と日曜、夏場 は金、土、日、月、と大分店にいます。忙しいですが、飛行機が一時間十分、大分は空港から大分市内まで遠く てバスで一時間かかりますが、その時間が私の睡眠時間なのです。日頃あまり寝ていなくてもそれだけあれば疲 れが取れるかなって。「何で帰って来てすぐに働けるの」って言われますが、若い頃から座ったままでも寝る癖 がついていますから、ちょっと目を閉じているだけでも疲れが取れますね。
● 銀座店と大分店とでは違いがありますか
 銀座の方は土曜日とかにはご家族でのお客様もありますが、やはり社用族のお客様が多いですね。大分はふぐ だけではなく懐石料理もやっていますので、ほとんどがご家族で来てくださるお客様で、田舎ですので、冠婚葬 祭や法事などの行事がいろいろあるので経営的には助かります。
● 銀座でどのようにはじめられましたか。また、女将さんがいない方のお店では困ることはないのですか。
 初めは田舎と違ってお帰りのお客様の車ひとつ呼ぶにしてもわからないことが多かったし、いろんな面で違い はずいぶんありました。
 ただ、大分には転勤族や東京からのお客様がとても多かったので、銀座に出店する時も、お客様のところへ挨 拶回りとか電話などはせず、そういう方々にお葉書を出したら皆様来てくださるだろうと信じてDMは出しまし た。そしたら、皆さん来てくださったんです!
 お店の経営に当たって、 商品管理は一番気を使うところですが、板前がきちんとしていますし、銀座では息子 が板前でやっているので心配はないですね。大分は従業員皆がまとまっていて、私がいない時でもきちんとやっ てくれていて、そういう点でもお客様には高い評価をいただいています。
 仕事の段取りに関しては、大分に戻ってもこっちにい ても、今は皆が慣れてやってくれますので、今日はどん なお客様がいらっしゃるのか聞くだけですね。
それと、いちばん有難いことは、こちらにいても大分店で悪いことがあった時はすぐにお客様が電話をくださる んですよ。こういうところがよくないよ、とか、ちょっとこれが美味しくないとか。その時は、ありがとう、と 言ってすぐに作り直させます。従業員の態度などについても、私がいないからお客様の方が見ていてくださって いて。そういうことが銀座に開店した時からずっと続いています。
● このお仕事をされていてよかったこと、たいへんだったことは何ですか。
 それはもう、「美味しかったよ」ってお客様に喜んでいただけることがいちばんですね。
 たいへんだったことは……、私はすぐに嫌なことも大変なことも忘れてしまうのですけれど(笑)。
 やはり、東京に来てリーマンショックがあった時にお客様がどっと減った時と、3・11以来お客様が減った ときですね。他には隣に若者向けのお店ができて、人が並ぶので入り口を塞がれたり。たいへんといえばそれく らいです。
 それと、やはり人を使うということはたいへんです。銀座はずっと息子や娘たち家族でやっていますから ちょっと従業員がいればいいんですが、大分店もありますし、特に新しい人が入った時はしばらく苦労します ね。
● ご趣味や楽しみにしていることやそのお時間はおありでしょうか。
 やっているのはお花とお習字ですね。お花は娘と嫁とお習字の先生の息子さんと四人でやっています。せっか く東京に出てきたし、東京と九州を往復するだけでは忙しいだけで能がないし、何も残らないですしね。できれば字もうまくなりたいし、お花くらいは活けら れないと、という気持ちもあって始めました。私 たちがやってい る青山古流は他の流派と違って、展示会に出品する作品では先生が絶対手直しをしてくれません。活け直したら 自分の作品でなくなるというのです。初めての時などどうしたらいいかわからなかったけれど、自分が活けたお 花をそのまま生かしてやれるので、今ではかえってよかったですね。
 年に何回かは忙しすぎて日にちを変更してもらうことはありますが、お稽古の時間はできるだけ作るようにし ています。
● これから仕事を離れてやりたいことはおありですか。
 それはもうあまりありませんね。今後も仕事を離れることはありませんし、旅行に行くといってもしょっちゅ う飛行機で行ったり来たりで、もうどこへも行きたくないですよ(笑)。だから反対に、家でじっとしているの がいいですし、気分転換でたまに自分で運転してドライブしてくる程度ですね。
● 今後のお店の経営方針など、どのようにお考えですか。
 これからはどうこうということは考えないで、後は子供たちに任せようと思います。私は奥に座ってうる さく言うだけで(笑)。今後は子供たちに頑張ってもらわなくては。
● 次の世代やこれからの銀座にはどんなことを期待されますか。
 子どもたちに期待とかはしませんが、とにかく自分たちが生活できるような仕事をしてくれればいいな、と 思っています。お店を守ってほしいとかは別にありませんし、その時々で問題にぶつかったらその時に考えれば いいと言っています。だからずっと続けなければならないということもないし、自分たちのやりたい方向が変わ ればそっちにいけばいい。こ の店も、食べ物を扱っ ている限り今後どういうふうに方向が変わってはやらなくな るかも知れないですし。日本料理店もどんどん大手に組み込まれている時代ですから個人でどこまでやれるか、 難しい問題ですよね。だから、今からこのお店を継いでいってというのは無理だと思います。こういった時代だ から、自分が好きなことを好きなようにやればいいんです。
 銀座については、やっぱり景気がよくなってもらいたいですね。今はクラブで働く女性たちが少なくなりまし たが、以前は綺麗で豪華な方がいっぱいいらして、香水の香りなんかも上がってきたりしていましたが、今はあ まり見かけません。
 それに最近は立ち食いのお店などもできて若者が多くなったのはいいのですが、そのぶん雑然としてきまし た。やはり、もっと落ち着きのある大人の街の銀座になってもらいたいと思っています。

(取材・渡辺 利子)

 
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