ゲスト写真




 
銀座を子どものペースでてくてく歩きしていると、思わぬ発見をすることがある。「これ何?」「どうしてここにあるの?」ひとり歩きのときは当たり前のように通り過ぎている彫像やモニュメント。子どもの疑問に答えつつ、あらためて調べてみると興味深いエピソードも色々。みなさんはいくつご存知ですか?
▼若い時計台 (写真左・数寄屋橋公園内)
数寄屋橋公園でひときわ目を引く岡本太郎作「若い時計台」。太郎が太陽の塔を制作した大阪万博よりさらに4年前の昭和41年、銀座ライオンズクラブの依頼で作られた。太郎の生誕百年を記念する昨年に改修工事が行われ、今では彼の作品らしい原色が鮮やかによみがえっている。よーく見ると、一番上の時計と金の雲のようなオブジェに、鳩よけの針金が立っている。これが子どもから見るとまるで「毛が生えている!」ように見えるらしい……。高度経済成長を見つめてきた歴史的モニュメントも、見方を変えるとまたユニーク。
ゲスト写真
▼銀座コイコリン

4丁目のシンボル三愛ドリームセンター1階の、カフェ横にたたずむ謎の動物「コイコリン」。その正体は触ると恋が成就するという幸運の招きネコだ。好きな人と結ばれたい人は顔をなで、ダイエットして美しくなりたい人はお腹をなで、恋人の浮気に悩む人はお尻をたたくと願いがかなう……かもしれないそうだ。その生い立ちは意外に古く昭和38年、ドリームセンターオープンに合わせ彫刻家・流政之氏によって作られた。50年近くも恋する乙女たちになでられ、ひっぱたかれ(?!)続けたと思うと、何とも感慨深い。
ゲスト写真
▼天賞堂 天使像

晴海通りにある宝飾、時計、模型の専門店、天賞堂のビルに、小さな「天使の像」が立っている。目抜き通りに可愛いお尻を向けて立っているのは、いったいナゼなのか?  広報の方に理由をたずねると、歩いてくるカップルに恋の矢を射ろうと様子をうかがっているのだとか。よく見ると手には恋の矢が握られている。天賞堂は明治12年、銀座尾張町(現在の松坂屋あたり)に本店があり、当時の屋上にも天使の像があったのだそうだ。婚約指輪も扱うことからキューピッドをイメージした天使をシンボルに、との理由だが、もう一つの隠れたワケは「てんしょうどう」で「てんし」!
小さなシンボルは行きかう親子連れの撮影スポットにもなっている。小学生が自由研究で由来を尋ねにきたこともあるそうだ。
ゲスト写真

▼椿を持った少女 はな

  銀座8丁目資生堂パーラー横を東西に通る、お馴染み花椿通り。ここにポニーテールの可愛い女の子、その名も「はな」ちゃんが座っている。はなちゃんは、像の前に建つ銭形ビルの前オーナー、斉藤益夫氏が花椿通りの環境整備事業の完成を記念して、商店振興会に寄贈したのだそうだ。斉藤氏と同じく新潟出身の彫刻家、茂木弘行氏作。女性らしい柔らかい体のラインと、手に持つ椿の花が、通りにいかにもふさわしい。
ゲスト写真
▼石川啄木 歌碑

 石川啄木が滝山町の朝日新聞社に勤務したのは明治42年12月から45年4月13日、27歳でこの世を去るまでの約3年間。早世の歌人をしのび、肖像とともに 「京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな」ときざまれている歌碑。ぐるりと車道側の裏にまわると、啄木の名の由来ともなった啄木鳥が、歌碑をつつくようにとまっている。これだけ堂々とでっぱっていると、子どもでなくとも頭をなでたくなるのが人間というもの。そういえばこの啄木鳥の頭、ちょっぴりテカテカしているのは気のせい?
ゲスト写真▼はぐれっ子
 数寄屋橋交番の横、桜の根元に座る少女像、はぐれっ子。多くの人が行きかう交差点で頬杖をついてしゃがんでいる。東京銀座ロータリークラブが創立25周年を記念して彫刻家・岩野勇三氏の作品「はぐれっ子」像を寄贈、50周年のときに像の隣にある銀座地区案内版を寄贈した。小学生の我が娘は、さみしげな同年代の女の子を見て「この子、迷子になっているの?」と不思議がっていた。そこでなぜ数寄屋橋に「はぐれっ子」なのか、理由を寄贈元に聞いてみたが現在は当時を知る人がおらず理由は不明とのこと。ご存知の方は、編集部までぜひご一報を!




Copyright (C) 2000-2007 Ginza15st. Inc. All Rights Reserved.