●どうして神職に就かれたのですか。
神職の資格を貰って五十余年。父の後を継ぎ、平成二十二年、
宮司に就任しました。初めは、世間に揉まれないと人の指導などできないのだから、しばらく社会勉強をして
くるようにということで上京し、大学に入学しました。神職修行をしながら単位を取って帰って来いと言われ、
学校へ行きながら神社実習にお宮で働いていました。ただ、二年で帰るところ、上に行かないかと大学から言われ、
転部試験を受けて四年いくことになりました。
父は反対し、仕送りもストップされましたが、神社実習を終えて日本橋の商社に勤め、自力で大学を卒業しました。
東京でいきなり放り出される状況になりましたが、子供の頃から苦労は山積でしたから平気でしたね。
東京では仕事にも恵まれ、いい社会勉強もできました。初めから神職の仕事だと世間知らずになっていましたね。
私が正式に織幡神社に奉職するようになったのは三十六歳からです。その時、織幡神社の宮司が不在になり、
宗像大社の宮司様が総代さんと共に父に頼みにいらしたのです。父はもう手いっぱいだからとお断りしたのですが、
ちょうど私が家に帰っている時で、私に白羽の矢が立ちました。当時はまだ東京で仕事をし、
祭事のときに時々戻ったりしていたので、仕事を辞めて帰ることになったのです。
いろいろありましたが、私は天職を戴いたので今まで頑張れたと思っています。
●宮司としてどのようなお仕事をされていますか。
勝浦にある年毛神社を本務としていましたが、今は式内社の織幡神社の宮司も兼ねております。
宗像にはお宮が百五十社程ありますが、その三分の一ほどを担当といいますか兼務しています。
それぞれ年間公例祭(春季大祭、秋季大祭、祈年祭)など多くの行事があり、これだけでもかなりの仕事になります。
それと、氏子の皆様から相談を受けるのも宮司の仕事です。アドバイスしかできませんが、
皆様は何かあるとちょっと聞いてもらうだけで良いので.....、それでもう半分解決しているのですね。
私はそれでいいと思っています。
普通、社頭にはやたらと出ないのですが、参拝に来られた方にはなるべくお声をかけるようにしています。
「宮司さんにお声をかけるのは呼び出すようで失礼だけど、いてくださってよかった」と言ってくださる。
私も氏子さんにお目にかかるのが楽しみで、お祭りに行った時もそうしています。それがあるからこそ神社が身近に感じられるし、
地域との繋がりもできてきます。核家族になって薄れていく伝統行事を伝えていくのも神職の仕事だと思っています。
私は明日死んでもいいから、前の日まで拝んでいたいし、皆さんのお役に立ちたいですね。
●銀座へはいつお越しになりますか。
学生時代は上野から渋谷の大学に地下鉄銀座線で通いました。定期券だと途中下車ができるので、
帰りには毎日のように銀座に降りてぶらぶらとウインドーショッピングして、ただ歩くだけなのですが、
歌の通り「憧れの銀座」ですよね(笑)。
それに勤めた会社も日本橋や京橋にあり、私にとって銀座は身近で、相性がいいところなのです。
今でも仕事関係で銀座の方で役があり、年に何回か会議や総会があるので出てきますし、大学の同窓会にも来られるときは出てきます。
そういう時はもう一泊して銀座を歩きます。
銀座ではリフレッシュもそうですが、精神的元気、気をもらっています。
それに、例えば?月堂の久岡さんに会っても、「あら永島さん、いらしてたんですか」って言ってくださる。
前日までお宮でご奉仕していても、いつも変わらないあの一言で疲れが吹っ飛びます。
それは小寺さんでも維新號の社長さんでもどなたでも同じで、何かすごく古巣に戻ってきたような感じがします。
周りからは憧れだけで銀座に行くように思われるのですが、昔から来ていますから皮膚の一部みたいな感覚です。
●永島さんからご覧になった銀座はどんなところですか。
銀座に行ってもブランド店ばかりでつまらないとよく聞きますが、それは本当の銀座を知らないからなのですね。
中央通りだとニューヨークやロンドンと変わらないけれど、並木通りやすずらん通り、
金春通りといった縦横の通りを見ないと本当の銀座は味わえません。
私は中央通りより、一歩入ったそんなお店の方々がこの銀座を支えているんだと思いますよ。日本の昔のよき時代も、
新しい時代も象徴しているのが銀座です。
それをよく見て回らないのがおかしいと思うのです。
皆に愛されるいい街は、日本全国どこでも古いものが残り、新しいものを取り入れています。
それをいちばん象徴しているのが銀座ではないでしょうか。
(取材・渡辺 利子)
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