会員インタビュー「銀座 このひと」VOL.23   いいことは当てに行け!


小林 祥晃(Dr.コパ) 氏 
「Copa Shop 銀座本店」
代表取締役

銀座で働く方々にお話を伺う 「銀座 このひと」

日本に古くから伝わる風水 をわかりやすく説明し、「西に黄色」で一般家庭に絶大な人気を得ている「Dr.コパ」こと 小林祥晃氏。一級建築士・神職という本業の側ら、明るいキャラクターと実際に経営者として の実績などから講演会や寄稿の依頼を多数受け、テレビ、ラジオにも出演。雑誌の発行も多 数。また、平成14(2002)年、銀座8丁目にコパビルを構えて進出。風水の知恵を生か した商品展開も行う多才な経営者である。

●先ずは生い立ちからお聞 かせください。
 世田谷の上野毛で宮大工の棟梁の息子として生まれました。父には神主という仕事もあるので、子どもの頃か ら 祝詞や、日本では神仏習合の時代もあって経などを習い、普通の家とは少し違った教育を受けました。
 仕事柄、家相や方位のことも詳しいこともあり、僕を自分が思うような幸せな人生を歩ませるために、家も 引っ 越しや増改築を含めていろんなことをやってくれました。
 僕が三歳の時、僕の将来のために富士山が見える場所で育てたいということで、高台の瀬田に、窓から富士山 が見えるような家を設計して建てました。そこで毎日富士山に向かって「幸せにしてください」と言うのだよと 言われて育ちました。今でも飛行機に乗ろうが新幹線に乗ろうが、窓から富士山が見えると手を合わせて「幸せ にしてください」と言うから周りの人も笑っていますが(笑)。
 生家はなくなりましたが、その地には三宅宮(みやけのみや)という廷内社があります。ここには多くの方が 参拝に訪れています。
●いつ頃 から風水に興味を 持ち、今の道に進まれたのですか。。
 家相・方位・風水に関しては、将来後を継いで棟梁になるのだから覚えておかなくてはいけないということ で、七歳頃から父に教わりました。そして、これは体験する学問だからといろんなことを体験させられ ました。たとえば、同じ部屋の中でも、机を置く場所によって勉強する気になるとか ならないとか、顔を北に向けたら落ち着くだろうとか、実際に机を動かして自分でどう思うかと体験させるので す。子ども心に、方位とか環境が大切なのだと思いました。
 大学の建築科を出て建築家になりましたが、二十七歳の時に父が亡くなり、父の会社を継ぎました。その後、 ふと本を書こうかなと思 て。それが三十七歳の頃。そしたら四十歳くらいの時にテレビに出ませんかという話になって、今に繋がってい ます。
これは、建築家になって会社を継ぎ、四十歳になったら本を書いて、五十歳になったら、おまえの言っているこ とや書いたことを日本中の誰もが知るようになるだろう、と父が全部言っていたことでした。そのためにおまえ をこういう家に住まわせ、こういう風に教育したと。今振り返ってみると全部その通りになっている。それは、 人は動物だから環境次第であり、生年月日で自分はこうだと判断するのではなく、どういう環境に育つかという ことが大切なのだということを教わりました。
●お父様の教えを息子さんにも伝えますか。
 僕も今は自分の息子や娘に風水を施して育てていますが、なかなかうまくいきますよ(笑)。
息子に対しては、人生は一度しかないし、自分で責任を持てばやれる範囲のことなら どんなことでもやっていい のではないかと思っています。父には、自分の人生だから、おまえが負担に感じるなら今あるものを守り続ける 必要はないぞ、と言われてきたので、息子にもそう言っています。ただ、神仏に手を合わせ、風水をちゃんと やっていってくれれば、職業の形態なんか何でもいいって。
 父が家相や方位、風水ほどこして育ててくれたおかげで、今父が望んだ通りになっているから環境学ってすご いのだなと思います。
● なぜ「Dr.コパ」という名前をつけられたのですか。
 テレビに出たり、本を書き始めたりした頃、読者の方が「Dr.コパ」という風に言ってきたのです。雑誌の 連 載で、部屋を見てその住人を診断するというコーナーをやっていたので、部屋を診てわかるドクターという意味 と、小林という名と明るいキャラクターもあってそんなふうに言ったのでしょう。それ以来、番組のタイトルも 本のタイトルも「Dr.コパ」が冠につくようになりました。今では「Dr.コパ」が独り歩きしていますね。
● 多くのお仕事をお持ちで すが、どのように仕事をこなされていますか。典型的な一日のスケジュールを教えてください。
 僕が日頃考えているのは、「人は幸せになるために生まれてきたのだから、どう したら幸せになれるのか」 とい うことです。幸せになることへの考え方は筋が通っています。衣食住という環境だけではなく、一日の時間配分 についても同じです。
 ここ(銀座8丁目のコパビル)の屋上にお社がありまして、毎朝スタッフと一緒に祝詞をあげて一日のス ター トとなります。1日、11日、15日、18日の月に4回、上野毛にある廷内社へ出かけ、朝七時半からお祭り をします。だいたいいつもここにある書斎で図面や原稿を書いたり、取材を受けたりしますが、毎朝の祝詞 のあ と、今日一日どう楽しく仕事をしようか、と考えることで、ストレスも逆手に取れるし、いい方向に動いていっ ているように思います。
 大学に教えにも行っていますが、日ごろ自分が携わっている建築とそれに関わる風水の話を交えて楽しく 授業 をするので、学生たちもとっても喜んでくれています。
 多くの仕事を持っている理由ですが、七歳の時に父がこう言ったからなのです。おまえは仕事も家も転々 とす る、と。これはあまりいい響きではなく、自分はどんどん駄目になるのかと思ったのですね。でも、転々という と次々とやめていくということであって、いろんな仕事を持つけれどやめなければいい、やめなければ多く の仕 事を持てる。それで仕事の数が増えてしまったのです。住まいにしても転々と引越しするけれど、全部売らない から財産が残っちゃった(笑)。
 こうなりますよ、と言われたら、どうしたらそうなるか考えること。放っておいてそうなるわけじゃな い。 放っておいてそうなるのは悪いことだけです。だから皆さんにも、占いは「悪いことは外せ、いいことは当てに 行け!」と言っています。
● 夢や今後のビジョンについて聞かせてください。
 五十歳になった時、人生で何かやり残していることがあるのではないかと思ったのですね。前々から僕に は 二つ の夢があって、その一つが銀座にビルを持つこと、もう一つは馬主になるということでした。父から、おまえは 凝り性だから、若いうちに馬主になると仕事が手につかなくなる。五十になるまで馬主になっちゃ駄目だぞ と言 われていたので、その教えを守っていたのです。それで、五十を過ぎ、競走馬を持ち、ビルの方は準備に数年か かりましたが、その二つを実現させました。
 今年は伊勢の神宮の遷宮があり、また新しい二十年が始まります。過去を脱皮して新しい二十年に向かわ なく てはなりません。今までの二十年の中では、はじめにバブルがはじけ、七、八年してから銀座に出て、それから ここまできました。今度は、どうやって銀座で暮らしていこうかなと考えています。どうしよう、ではなく てど うなるのか、どう対処していこうかと考えていますが、いろいろ考えることが楽しくて……。考えていることひ とつひとつが将来に対する今の夢かな。
●なぜ銀座に進出されたのですか。
 銀座に出ようという気持ちは三十代頃からありました。銀座にはよく飲みに来ていたので、家に帰るのに自分 で 車やお供を呼ばずに済むのは最高じゃないか、と思って。このビルの上階に部屋が作ってあるわけですか ら、飲 んで帰るのに、雨が降ってもちょっと傘をさして女の子が送ってくれるし(笑)。
 銀座に出て来るのなら自分で土地を買ってビルを建て、そのビルも上から下まで全部自分で使わなけれ ば、銀 座に元からいる旦那衆から信用を得られません。ここに何十年もいて、周囲の旦那衆が認めてくれるまで頑張る しかないですよね。そんな訳で、僕の最終目標は「銀座の旦那」かも知れません。
●ことごとく夢を実現される秘訣は何ですか。
 これまでひたすらやってきましたが、それを皆が応援してくれたことですね。神主であること、建築家である こ と、そういう仕事からくる発想っていうのがうまく回ったんじゃないでしょうか。
 不動産に恵まれたこともありますが、住まいや部屋の作り方でそうなることはわかっていますので、それ を実 行しただけです。普通はあまりに多忙だと体を壊してしまいますが、今は楽しくやっていますし、銀座ライフと してはうまくいっているんじゃないかと思っています。
● ご趣味やプライベートで 楽しみにしていることは何ですか。
 昔は朝から夜までずっと原稿の執筆や講演の仕事で毎日忙しく、休日が取れるようになったのは六十を過ぎた こ の四、五年でしょうか。
 所有している競走馬が土曜や日曜にレースをするので、土日くらい見に行かせておくれよ、ということで (笑)。今では所有馬も増え、毎日のようにどこかで走っているものですから、趣味といえば競馬というこ とに なりますね。
 家内も馬主ですので、馬がデビューするときは家内や息子と一緒に見に行ったりしていますし、私の馬が 強い だの勝っただのと、普通の夫婦より会話も多くて盛り上がります。
 旅行も好きですね。家内や娘とは毎年一緒に海外旅行をしますが、今年は9月にヨーロッパ旅行をし、フ ラン スのロンシャン競馬場や、イギリスではロイヤルアスコット競馬場に行ってきました。
●銀座とはどういうところですか。 これからの銀座にどんな期 待をお持ちですか。
 華やかに出てくる店もあれば昔からの老舗が店をたたむこともあるし、立ち食いができて、銀座の風景もずい ぶ ん変わってしまいましたが、そんな時代の流れを懐深く受け入れるのも銀座です。でも、どんな店がきても それ なりに銀座に合わせていかなくてはならなくなる。はじめは自分なりの商売をやるつもりできても、だんだん形 態を変えて銀座の街に合っていって、それなりに高級店化して銀座の格を保つようになっていく。それがで きな いと銀座においてもらえませんから、そういう意味では銀座はすごい土地です。
 本来銀座は皆で助け合っていた場所、芸事の街でもあります。そういうものが崩されないように、昔から ある お店が潰れないようにしなければならないし、素晴らしい発想や技術を持ったお店に来てもらわなければならな い。そういう面では京都が上手に古さと新しさを融合させ、長い間観光地として栄えていますね。銀座も世 界の 観光地になるべきですが、ただ、見世物的な観光地になるのは嫌ですね。銀座のマインドって何なのか、銀座の 長老方や古いお店を見たりして考えているところです。
 そして、自分が自分がという気はありませんが、少しでもお役に立てたらいいなとは思っています。
 もともと銀座という商店街は陛下のお膝元で、陛下、いつでもお買い物にお越しください、という街なの です から、その伝統だけは崩したくないですね。其の上でいつでもいろんな方がお買い物に来てくれる街であってほ しいです。

(取材・渡辺 利子)

 

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